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第74回 東京都合唱コンクール

9月1,7,8日の3日間、東京都合唱コンクールの審査員をお受けしました。


音楽の審査員の何が良いかといえば、偉そうに(いやほんとうは断腸の思いで)人様の演奏に点数などというものを付けさせていただくのと引き換えに、審査員自身もまた周りから審査されているという点。あの人はあの場で「音楽」の何を聴いたんだ、と。だから審査員ごとの順位がクリアーに公開されるコンクールほど健全なのだと(あんまり言っちゃいけないやつかな、でも、いっか)。


そういった意味できわめて健全だろう東京都コンクール(以下、都コン)ですが、うすうす分かっていましたが、審査に携わらせていただくとなお、当日たくさんの都連の方々が大会運営のために献身的に色々な仕事をなさっているのが分かります。それはご出場の皆さんも十分お感じのことかと。おもてなしというか、ほんとうに素敵な「場」がつくられている。各団体の演奏後だけでなく、審査発表で他団体の受賞に対して贈られる盛大な拍手にもご出場&ご来場の皆さんのあたたかさが表れていると思いました。優しい世界、ありがとうございました。


そしてもうひとつの「ありがとうございました」はご出場のすべての皆さんに対してです。3日間でシードも含め計100団体以上の素晴らしい演奏を聴かせていただきました。各団体の演奏はプログラムのメモを見るとそれぞれ鮮明に蘇ってきます。覚えているものですね。審査をせずお客さんとして聴けたのならどれほど楽しかったか。審査員のつらさ、どうか理解してください。「なぜ審査員が7人もいて」「そのうえで自分は何を求められて、何要素、何要員でここに呼ばれているのか」そのことにひたすら思いを致し責任をもって末席を担っていたということはきちんと記しておきたいと思います。お昼の立派なお弁当に心奪われても、ご自由にどうぞと置いてあるハッピーターンの誘惑にも「午前中に自分が決めた視点が昼休み中に絶対にブレてはいけない」「うしろのブロックを有利に聴くような耳を作るな」と自分に言い聞かせていました。


作曲は、消しゴムで消しては何度も書き直せます。対して演奏の本番・コンクールはやり直しがきかない。その本番はそこ1回きり。そんなプレッシャーと楽しく戦わなければならない演奏畑の人たちを僕はとても尊敬しています。今回の都コンの結果も当然「そこ1回きり」の演奏に対する評価に過ぎません。演奏順や審査員の違いで結果は異なるでしょう。大切なのは、自分(たち)らしい表現が追求できたかどうか、そしてそのためにどんなプロセスを経てきたのか、だと僕は思います。かけがえのない積み重ねがあってこその今ですから。さらに高次には、聴き合うことで互いを高め、耳を養うことができるのがコンクールの素晴らしいところ。授業でも毎度言っていることですが、人様の音楽のアラを探すのは簡単(そういうことは専門家がやればいい)、そうでなくて、良いところをピックアップできる能力、そしてそれを言葉にできる能力のほうがずっと高度です。コンクールでの収穫を糧にそれぞれの合唱団の活動がますます豊かなものとなりますように!受賞なさった団体の皆様はおめでとうございました!東京代表の皆様、全国大会でもさらなる名演をご披露ください!

大変お世話になりました、ありがとうございました!


 

「合唱コンクールの審査員って楽譜見ながら聴いてるんだね」とよく言われますが、これは重要な指摘だと僕は思っています。ピアノのコンクールだったらあまり無いもん審査員用楽譜なんて。今回、完全に暗記している数曲を除いてほとんどの楽譜(自由曲)を見ながら3日間拝聴しました。そのうえでやはり感じたのは、楽譜を一切見ずにステージ上の演奏姿と、出てくる声、音だけを基準に審査したら異なる点数を書くだろうな、と。


楽譜なんて必要ない、見ない審査員だっているじゃないか、楽譜から離れたところにほんとうの音楽がある、音楽はお勉強じゃないんだよ、自由じゃなきゃ。そのようなことを仰るお歴々も。その気持ちもよく分かるんだ。しかし「なんて素敵な演奏!」「ホール鳴ってるなぁ!」一体どんな曲なんだろうとふと楽譜に目を落としたとき、


・楽譜指定のテンポより(10くらいならまだしも)明らかにかけ離れている

・臨時記号を見落としたまま歌っている

・細かなdiv.で、ある1パートだけ音が無い(これは楽譜を見ないと分からない!)


例えばそういうことに気付いたとき、歌手でも指揮者でもなく作曲家として呼ばれている僕は見て見ぬ振りをすべきだった? きっと違う。そういう単純なことだけじゃない。「曲全体の構造・形式に対する読み」「和音や転調の手続きに対するアプローチ」「合唱とピアノの関わり方」「ドミナントの高揚はその棒の出し方では効果的に示せないのでは?(かっこつけることと的確なエネルギーを指揮で示すこととは違う)」等々・・・審査員用楽譜を通してこそ見えるものがあります。指揮者・ピアニスト・歌い手の三者がどれだけ積極的に「音楽」の中身に踏み込み、何を共有しているのだろうか、それは不思議と聴こえてきます。なるほど!と。こちらも大変勉強になりありがとうございますという気持ちなのです。合唱コンクールは「声のスポーツ大会」ではなくどこまでも「音楽」のコンクールであってほしいなと思います。

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